そういえば、かたくなにご家族からの臓器提供を断ってたよね。理由があるの?
そうだね。理由は感情的な部分が大きかったかな。
家族の命を借りて生きていくってどうなんだ?という葛藤が大きかったね。
家族からの臓器提供(腎移植)を断り続けた理由
家族の人生を奪うような気持ちでいた
私にとっては、全く知らない方からの臓器提供(生体移植)や、お亡くなりになった方の臓器提供に対しては抵抗を感じていませんでした。
なぜなら、知らない方なので責任の感じ方が少ないと思っていたからです。
もちろん、どんな方であっても感謝はするはずですが、
責任を重圧に感じる事は無いだろうと思っていました。
反対に、知り合いや家族からの臓器提供(生体移植・腎移植)については、ものすごく抵抗がありました。
臓器提供をしてもらうという事は知り合いや家族の人生の一部をいただく事になる、と考えていたからです。
親の寿命が短くなるような事はできなかった
腎臓は消耗品で、100%の機能が70%まで消耗したら、機能が100%に戻ることは無いと先生から聞いていました。
腎臓は体内に2つ存在し、2つで100%だと。
そして、60歳を超える母親の腎機能が80%あったとすると、1つ移植で無くなると40%に腎機能が低下するという事だと。
実際のところ、腎臓は1つでも問題なく十分機能する事が通常ではあるそうです。
ただでさえさんざん迷惑をかけた母親。
60歳を超える母親の残りの人生。
体の機能を低下させてまで受け取る事は、親の寿命を奪うような気がしてできませんでした。
人の命を借りて生きていく価値が自分にあると思わなかった
母親の寿命を奪うような事は、親の命を借りて生きていくという事だと考えていました。
はたして、自分に人の命を借りてまで生きていく価値があるのか?
答えはNO。
人様の命を借りて、しかもさんざん迷惑をかけ続けた親の命を借りて生きていくなんて、おこがましいにもほどがある。
自分は自分のできる範囲で、なるべく人様に迷惑をかけずに生きていくんだと考えていました。
当時は透析生活ではまだまだ若輩者で、少しメンタルがすでに弱ってるような思考回路だったと思います。
人工透析で生きていけるから問題ないと思っていた
そして、人工透析で生きていけるから何も問題が無いと思っていました。
透析さえがんばって受けていれば、最低でも身内に迷惑をかける事は少ない。
人工透析で生きていこう。自分の寿命がそれで短くなったとしても、それが自分ができる精一杯の人生。
それで問題ないじゃないか、と。
家族からの臓器提供(腎移植)を受ける事にした理由
実際は透析生活がつらいと思っていた
腎移植をせずとも、人工透析で生きていこうと考えていた、透析生活から約5年。
毎日、普通に仕事に通って、週3回は夜から朝まで睡眠中の透析。
透析の日
9:00 自宅から職場に電車で移動し、出社
20:00 帰宅。急いでお風呂と食事。
21:00 透析センターに自転車で移動。
22:00 透析開始。
5:00 起床。早朝は電車が少ないため自転車で帰宅。
透析直後なのでフラフラしながら30分かけて移動。
仕事が遅くなる日は、職場から透析センターへ直行。
オーバーナイト透析を受けられていた事については、今でも本当に感謝してもしきれないくらい感謝しています。
しかしやはり、健常者並みに働いてこの生活を続けていく事は、なかなか大変な事でもありました。
透析の日のほとんどは、透析センターに仕事を持ち込んで就寝は12時を超える事も多かったです。
「透析生活と仕事の両立がつらい」
心のどこかではずっと思っていました。
結婚を考え始めていた
そして、当時お付き合いしていた方との結婚を考え始めていました。
私の透析や腎臓病に理解があり、できる範囲でサポートしてくれていました。
前述のとおり、私は週3回はオーバーナイト透析で家を留守にします。
腹膜透析にやハイブリッド透析に切り替えるか。はたまた、どこかに家を買って自宅で透析できるようにするか。
なるべく家を留守にする事はしたくないし、そんな選択肢も本気で検討しなければな、と考え始めていました。
余談ですが、この頃にうまく住宅ローンは組めても団信には入れない可能性が極めて高い事などを知ったと思います。
親から、何年かぶりの連絡
そんなさなか、母親からLINEで連絡がきました。
母
体調はどうですか?透析生活は大変ではないですか?
私も64歳になり、臓器提供(腎移植)をしてあげられるギリギリの年齢です。
できれば、受けてほしいと思っています。
母親からは、腎不全で倒れた時と、その翌年に何度か臓器提供(腎移植)の申し出をうけていました。
しかし前述のとおり、どうしても身内からの臓器提供(腎移植)を受ける事に抵抗がありました。
しかし、64歳という年齢を見て、ふと思う事がありました。
「親が倒れたり、働けなくなったら、誰が面倒みるんだ?」
親の面倒は自分が見なければいけないと思った
私は3人兄弟で、父と母は離婚で別居しています。
姉と妹がおり、妹は精神病を若いころから患っています。
姉はおどろくほどのしっかり者な上に、精神的にも強い人ですが、旦那さんが結婚後に精神病を発症。
父は父方の母(私のおばあちゃん)が90歳半ばで元気ですが、要介護の状態で同居しています。
「・・・・あれ、家族の事助けられるの俺しかいなくないか」
家族に万が一があった場合、どう考えても長男で稼ぎが安定している自分が支えるしかない状況でした。
自分の事ばかりに目を向けて、人工透析で生きていけるならそれで良い、と思っていた事を考え直すようになりました。
自分が生きていければそれで良い、という事ではありませんでした。
家族を助けられる方法があるのに、そのために手段を選ぶのは違うのではないか、と考え始めました。
一人前に生きる事が親孝行であり、生きる価値でもあると思った
そして、腎移植を受ける決意を固めます。
親の命を借りて生きる事は、親の寿命を縮めるかもしれませんが、そうする事で家族の助けになれるかもしれない。
そうして一人前に生きる事は、今までやってこなかった親孝行かもしれない。
親孝行ができる事や、一人前に生きていける事は、自分が生きていく価値があるという事かもしれない。
自分に生きる価値が低いと考えていた時に比べ、むしろ生きる価値を高める事にシフトしはじめていました。
ポジティブに病気と向き合いだしたのはこの頃でした
守られる側にいるだけではなく、守る事も出来ると思った
透析を受けていた数年の間は、人工透析や国の制度に守られている事にコンプレックスがあり、守られている以上の価値を社会に返せていないような気がして精神的にもつらいと思う事がよくありました。
それを払拭するために仕事に打ち込み、少しでも承認欲求を満たそうとしていたかもしれません。
腎移植は、考え方を変えていくための良いきっかけでした。
自分が生きる価値は、腎移植をしたから上がったという事ではありません。
重要な事は、生きる価値をどうやって高めていくかという事。
移植した腎臓が終わって透析生活にもどっても、ポジティブにこの病気と向き合っていく事に変わりはないと思います。
人工透析中であっても、守られる側にいるだけではなく、価値を提供したり、人を守る事もできると考えるようになりました。
まとめ
この記事は、私が私の家族から臓器提供の申し出があった時に、とても葛藤した気持ちを文書化したものです。
臓器提供、腎移植を行う際、人それぞれ色んな事情や感情が存在すると思います。
私の場合は、自分の生きる価値について悩みました。
私個人の体験談でしかありませんが、臓器提供の申し出を受ける方が、どのような気持ちでいるのか。
どんな葛藤や考え方をして、悩んでいたのか。
腎移植を検討されている家族、ご友人、関係者の方々にとって何かの参考になればと思い執筆いたしました。
少しでもポジティブになっていただけると嬉しいです。